【エッセイ】ぶあついハンバーガーの食べ方についての考察

今日、桜木町ワールドポーターズにある、ハワイ風のハンバーガーショップに行きました。

 

それで、そこのハンバーガーが結構ぶあつくて、正直これ一息にいくのきつくない?っていうレベルだったんですよね。

 

じゃあ、パンとハンバーグたちを解体して個別に食べるかというとそれはなんか違うんじゃないかとおもうんですよ。

 

ハンバーガーは、ハンバーガーとして一括で食べるからハンバーガーなのであって、パンとハンバーグとレタスとトマトとパンをそれぞれ個別に食べたら、それはもはやパンとハンバーグとレタスとトマトとパンであって、ハンバーガーではないと思うんです。

 

伝わってますか?

 

ハンバーガーは、専門分野の異なるそれぞれのパーツが有機的一体として強固なチームとなり、口のなかに放り込まれてはじめてハンバーガー足りえると思うのです。

 

でも、そんなことをいうと

 

「口がちっちゃくて、一息に食べるのが難しいからしょうがないじゃん」という人が必ずいます。

 

しかし、それは論点がずれています。

 

僕はハンバーガーを構成するパーツを個別に食べる行為は、ハンバーガーを食べる行為とはならないと主張しているのであって、ハンバーガーを一口に食べる能力は別の論点だと考えています。

 

個別に食べる方法自体を否定しているわけではないのです。

 

そんなことを考えながら、口を大きく開けてハンバーガーを無理やり食べていました。

 

すると目の前で妻がハンバーガーを丁寧に解体しはじめました。パンとハンバーグとレタスとトマトとパンに。

 

そして、それぞれのパーツをナイフで細かくカットしながら食べはじめました。

 

それはまるで寿司ざんまいの社長が手際よくマグロを解体しているかのようでした。

 

自分のハンバーガーの食べ方に対する論調をここで主張すべきかどうか悩みました。

 

しかし、これは絶対に口論になるやつです。僕は妻が想定する反論に対抗する反論を考え、反論の反論の反論を想定しました。98%の確率で僕が負けてしまうことは確実でした。

 

それに外出先で人の食べ方についてとやかく言うのも、細かいやつだとか思われそうです。

 

というわけで僕は妻の食べ方には一切何も言わないことにしました。人は人、自分は自分です。

 

結局、このブログの存在は妻も知っているので、同じことになるのですが。

 

最後の方は手が汁でベタベタになりながら、完食しました。(ハンバーガーって最後の方、謎の汁がでますよね)

 

皆さんはどう思いますか?